ログイン――それは、ディートハルトが長期討伐へ向かう少し前のこと。
「あれ? ディーまた、残ってるの?」白衣を着たレインが、ひょいと顔を出した。「ああ、事務作業は昼間できないからな。お前も残業か?」レインは手に持っている書類を机に置いた。「そうだよ。だいたい、団員に対して治療士が少なすぎるんだよ。全くブラックな仕事だよ……」そう言って、レインは椅子に座り机に伏した。「治療士も体力勝負だからな。お前も少しは鍛えた方がいいんじゃないか?」「は? 脳筋のディーと一緒にされたくないね!」レインは金色のふわふわの髪を揺らし、ほんのり色づいた頬を膨らませた。「脳筋……。それはショックだな」俺は笑った。「俺たち、けっこう長く一緒にいるじゃん? 俺が鍛える気がないことくらい、分かるだろ?」「そうだな。騎士団に入団してから、ずっと重い扉が閉まる。ガチャン。外の音が聞こえなくなる。「本当に平気?」私はルシアンを見つめる。「はい、ぜひこの目で見ておきたいいんです……」「そう……。あなた、変わっているわね……」ルシアンがふわっと笑った。――かわいい。ルシアンとも今日でお別れ。中央の台に小さな魔道具がある。今日はこれに魔力を入れて、完成させる。簡易式転移魔道具。「じゃあ、いくわよ」私は目をつむる。魔力の流れに耳をすませる。――来た。手から黄色い光が溢れだす。台の上の魔道具にその魔力を流し込む。魔道具がカタカタと震えだす。汗が頬を流れる、唇が渇く。ガタガタと激しく動く魔道具。その魔道具が台の端まで動いていく。――その時。魔道具の動きが止まった。ふと視線を上げる。ルシアンだった。彼が魔道具を手で固定していた。――痛いだろうに……。彼は眉間にシワを寄せながら、笑った。やるじゃない……。魔道具はすべての魔力を吸収して、動きを止めた。「もう、離して大丈夫よ」「あ、はい……」私は彼の手を握る。そして、手を開いた。彼の手はとても熱く、真っ赤になっていた。私は彼の手に自分の手を重ねた。黄色い光と共に、すっと赤みがひいていった。「あなた、無茶なことするのね。普通はこの部屋にすら、入りたがらないわよ……」私は手を離した。ガシッと、今度は私の手が掴まれる。「こんな小さな手で……。痛くないのですか? 他の人より、たくさん作っていますよね。魔力の消費の激しいものばかり……」「えっ……? あー……。私はもともと魔力が有り余っているくらいだから……」「それでも……。俺が帰ったらまた一人で……」「ふふふ。どうしたの? この部署はそういうところよ……」「分かっています……。でも、もうあなたを手伝うことができない……」私はふっと笑いが出た。「私、この仕事が好きなの。結婚にも興味がないわ。だから、このままでいいの。時々、夜遊びをするしね」彼の目を見て笑った。「……」「だから、あなたは安心して帰りなさい。少し情が移ったのよ。また、元の直場に戻れば忘れるわ……」――いつも、そうしてきた。これが、私からの手紙の返事。ぎゅっと、痛いくらいに握られる。「あなたも、貴族なんだし。どこかのご令嬢と結婚したらいいわ。あなたほどの見た目なら、
少し前の話……。「アーシュ、おめでとう……」「ありがとう、イヴェッタ……」私はカウンター越しに、アーシュを見上げた。お腹がだいぶ大きくなって、ふうふう言いながらこの店を切り盛りしてる。――私の親友。「アーシュ、ダメじゃないか……。少し休んで……」奥から無駄に逞しい肉体の男性がやってきた。「ディー、大丈夫よ。少しくらい……」アーシュが額の汗を拭った。ディートハルトの目が光る。「きゃっ! ちょっと、ディー! みんなの前で――恥ずかしい……」気が付けばアーシュレイはディートハルトに横抱きにされていた。顔を真っ赤にするアーシュ。「イヴェッタ悪い、少しアーシュを休ませる……」私は無言で手を振って、二人は奥に消えていった。「うぅ……」そして、隣でうなだれる男……。水色の髪と瞳が透き通った湖みたい……。涙をためて、その瞳はさらに透明度が増している。瞬きすると、その涙がサッと目尻から流れた。「――かわいい」私は彼の涙を指で拭った。「えっ?」「あなた、名前は?」「俺は、ルシアンです……」「私は、イヴェッタ。あなたは、アーシュレイが好きなのね……」彼がまつ毛に影を落とす。「かわいそうに……」私は泣いている子供を慰めるように、彼の頭を撫でた。ふわふわの動物の毛みたいだった。彼の髪の毛先を、指で絡めてみた。――悪くない。「俺、アーシュレイさんが赴任してきてからずっと好きで……。それなのに、あの人が突然やって来て……」彼は鼻を赤くして、声はかすれていた。「そうだったんだ……。それは辛かったね……」
「今日から研修として、辺境の地から若き魔道具士が来てくれた。みんなよろしく頼むよ」拍手の音が聞こえる。私は目の前の魔道具をじっと見つめた。ここの回路を繋げば、もっとスムーズに動く?「初めまして、ルシアンです。どうぞ、よろしくお願いします」「うーん、じゃあ、彼女について色々学ぶといい……。……さん」「イヴェッタさん!」突然大きな声で呼ばれて、勢いよく頭を上げた。魔豪具課のみんなが私を見ていた。私は下がった丸眼鏡を上げた。「何か……?」私はわざと低い声で答えた。こっちは忙しいのに……。所長が男性を私の前に連れてきた。ん……? はて、どこかでみたような……。長身ですらりとした体形。水色の瞳に、同じ色の髪。嫌味のないイケメン……。どこかの酒場でひっかけたか……?「あの、イヴェッタさん。ルシアンです! よろしくお願いします!」さわやかなイケメンが頭を下げた。「じゃあ、イヴェッタさんあとは頼んだよ……」所長はスタスタと自分の机に戻っていった。――押し付けられた。私は小さくため息をつく。彼はじっと私を見て、頬を赤らめていた。は……?ルシアン……。最近その名前を執事から聞いたような……。――手紙。そうだ、連日その名前で、手紙が届いてたんだった。中身読んでいないのよね……。「まあ、とりあえず、よろしく……」私は半笑いでそう言った。 ◇◇◇ ルシアンて子は、なかなか筋が良い。私の作業中は声をか
瞼が光に包まれる。目を開けていなくても分かる。――朝が来た。手をかざしながら、ゆっくりと瞳を開けると光が降り注いだ。見たことのない大きな窓。「えっ……」すっかり目が覚めた。ガバッと勢いよく起き上がると、ズキッと頭に痛みが走った。「水飲む?」冷たいコップが額に触れた。「ああ、ありがとう……」俺はそのコップを受け取り、喉を鳴らして飲み干した。飲み干した後に気づく。今、誰から受け取ったのかと……。視界の端に映る女性……。ベッドに腰かけて、こちらを見ている。ピンクの長い髪と、ピンクの瞳。薄いスリップドレスを着ている。「……」その瞳と目が合った。「おはよう、ルシアン」少し低めの声で彼女は言った。「あ、おはようございます……」沈黙が流れる。もう一度、彼女を見る。彼女の肩や首には、無数の赤い点が――。そして、俺は視線を下げて自分の下着を確認した。何も——着ていなかった。俺は勢いよく、布団に潜った。ど、どういうことだ?えっ……、これってつまり……、彼女と……?頭の中で、処理できない事実がグルグルと回る。確か昨日、アーシュレイさんのお店に行って……。そうだ――。彼女が妊娠したと聞いて、ショックを受けて……。それで……、そこにいた彼女の友人に慰められて……。――酒場に行って……。その後の記憶が――ない。冷や汗が止まらなくなった。彼女の気配がしなくなった。俺はそっと布団の隙間から、彼女を探した。彼女は着替えを済ませて、カバンの中身を確認していた。そして、テーブルに置いてあった丸眼鏡をかけた。イヴェッタさん――。王都の魔道具課のエース。俺の憧れの人……。もちろん、魔道具士として……。彼女はカバンから、何かを出して、テーブルに置いた。そして、こちらを振り向いた。「ふふふ……。まるで、女の子ね……。じゃあ、私、仕事に行くわね……。――さよなら」「え……!?」彼女の足元が光る。光の中で、彼女は笑った。もう、関係などないかのように……。部屋に静寂が訪れる。俺は頭を抱えた。未婚の女性に何てことを……。俺はベッドから出た。あちらこちらに脱ぎ捨てられた、衣類を一枚一枚手に取る。そして、断片的に記憶がよみがえる。酒の力を借りて、彼女に――。頬が熱くなる。ふと、テーブルに目がいった。
「アルディ、おやすみ……」「ん? 添い寝する?」「違うって? あははは。分かったよ。明日も約束な……」二階の子ども部屋の扉が閉まった。軋む階段。金色の髪をかきあげて、翡翠色の瞳と目が合う。優しく微笑む彼。「私も行った方がいい?」ディートハルトは上を向いて、唸った。「大丈夫だと、思う……」「そう……」「今日はきつい稽古だったから、ぐっすり寝られるよ……」「子供たち、――張り切ってるもんね」「ああ……」彼の静かな視線が私に降り注ぐ。視線を合わせていられなくて、自分の手元に集中する。昼間、お店の接客で作業ができていない。だから、最近はディートハルトが寝かしつけてくれている。誰かに、頼れるって……嬉しい。私は自然と口元に笑みが浮かぶ。ふわっと石鹸の香りがした。「まだ、かかりそう?」耳元でディートハルトの低い声がする。肩がピクッと跳ねて、彼がフッと笑った気がした。「あ……、えっと、これが終われば……」無情にもカチッと部品がはまって、完成してしまった。「できた……みたいだね……」逞しい腕に後ろから包まれる。「うん……」腕の重みや温もりが心地いい。「じゃあ、この後の時間は……?」ディートハルトが私の肩に顔を乗せて聞いてきた。「えっと……。あっ、夕食の食器を――」「洗っておいたよ……」「えっ? じゃあ、明日の朝食の準備を……」「簡単なスープを作って、保温器に入れたよ。あと、パンも買ってある」「あ! 店の看板……」「ちゃんと閉まって、戸締まりもした」「っ……!」考えても、もうでてこない……。耳に彼の息遣いを感じる。「もうない?」くるっと椅子が反転した。おぼろげな明かりに照らされた彼。髪は濡れていて、――普段と違う。ラフに着たシャツからは、鍛錬が伺えた。胸元に下がる筒状の魔道具。私はそれを手に取る。今もぼんやり赤く光っている。「これ、まだ着けてるんだね」「うん……。離れていても、これがあるとね――」ディートハルトが私の髪を手に取る。「君の髪と同じ……」そして、その髪にそっと口づける。翡翠色の瞳の熱が上がっていく。息も……。「初夜……」「え……?」「やり直したいんだ……」私の顔がカッと熱くなる。「えっ!でも、アルディがまだ起きてるかも……」沈黙が流れる。「大丈夫。
「アーシュ? どうした?」「アルディのこと、ありがとう……。あの子の、あんなに楽しそうな顔見たことない……。あなたと、少しでも一緒にいた記憶を作れて……嬉しかったわ」陽だまりのような手が、私の手を包む。「少し……なんて、悲しいよ――。君やアルディが望んでくれるなら、――許してくれるなら、ずっと一緒にいたい」彼が真っすぐ、私を見た。そんな瞳で見ないで……。決心が……揺らいでしまうから……。あなたを自由にしたい……。 「ありがとう。ディーの気持ち、とっても嬉しいわ。でもね、あなたはこんなところにいて、いい人じゃないわ。王都に戻って、副団長に復職して……。それに、伯爵家のこともある。レインくんだって、これ以上待たせたらいけないわ……。責任なら、もう果たしてもらったもの」私は振り絞って笑顔を向ける。握られた手に力が込められた。「まず、レインのことは悪かった……。誤解させるようなこと……。いや……、うん。レインには……、気持ちに応えられない……と伝えた。伯爵家のことは、弟に継いでもらうように手紙を出した。復職は――しない」「えっ……?どうして? お義母様も、伯爵様もみんなあなたに任せたいって……。レインくんだって……。私……、知らなくて。あなたに酷いことを――」翡翠色の瞳が大きく開かれ、そして、ふっと笑った。「そっか……、レインから聞いた? ごめん、伝えられずに……」私は首を横に振った。「あれは、俺の弱さと油断から生まれたんだ……。新人研修の最後の日、酒に薬を混ぜられた。体は動かないのに、女性と仲間の声がしていた。体は火照り、香水の甘い香り……。――俺は、何もできなかった。レインが気づいて、団長を呼んできてくれた。――でも、君を拒んでいい理由にはならない。いや……違う。君に、話せなかった俺のふがいなさだ……」「そんなこと……」胸が痛かった。――気づいてあげられなかった。